Am7♭5

うたかたの日々

代々木で焼き肉食べながら溶鉱炉について考える事

さて孤独のグルメの話ではない。そして溶鉱炉については考えていない。たまに携帯に書いている駄文をつないでみた。

Bebopかじってこう言う風に思うようになった。まるでリンゴかじったマッキントッシュみたいだ。話は違うが個人的にはウェスも凄いし偉大だけどジョーパスの方がジャズギターそのものの存在と歴史を変えたという点では惹かれる。チャーリークリスチャン達が提示したジャズギターの表現を正攻法でソフィスティケイトされた到達点がウェスのギターだとするとジョーパスはその到達点の解釈拡張と変更だと思う。窓ガラスを大きくして取り付ける壁を変えたんだ。だから73年以降のジャズギターはバーチュオゾ#1を起点に解釈した方が理解しやすくないかと仮説を立てている。ま、いいや。この辺は一生かけてアナライズしていかなくてはならない事なんだろう。と大まかなジャズギターの歴史には意味はない。

さてBebopはあくまでもBebopであり、他の音楽との親和性にかけるし、頑固だし、頭固いし。。。ある意味柔軟ではないのだけど限定さえれた環境に無限の広がりを再構築する回帰の物語なのである。限りなくストイックで見事なまでにコードの磁場に統制される統制の美は楽園そのものであり、逸脱は禁則事項でその不文律はこれほどの不文律が存在するのかというくらい徹底しながら旋律をたたき壊す魅惑の果実である。僕は禁断の楽園でリンゴをかじって楽園から追放されるるが白昼夢のごとくギターを手にする懲りない男なのだ。だから焼き肉は油が燃え盛る様が実に美しいくいのだよそしてリンゴかじったマッキントッシュなんだよと思ったところで会計をすませた1,000円である。たぶんこの考えまた考え変わると思うけど。がじったばかりなんであしからず。